たまに来る無気力感の波。

本来持っているものもあるだろうけれど、双極性障害1型ということもあって気分の波が激しい。

躁状態の時は、自分が超能力者にでもなったかのような爽快感、エネルギーの満ち足りた感覚が体を支配する。実際この時には幻聴や幻覚(私個人的には幻聴の方が強い気がする)スピリチュアルな目には見えない繋がりをあちらこちらに感じる。

まさに神様の使いのような、選ばれし戦士のような感覚だ(あくまで個人的な見方です)。

実際、私個人の見解は決して躁状態に起こっている出来事が無意味なわけではなく、過去や未来の自分に何らかのヒントが差し示されていると考えている。(例え、全くつながりがなかったとしても受け手によって自らとの繋がりを推測できなくもないし)

私が直近の躁状態になった時の出来事を話すと、まず、アイディアというか発想が止まらなくなって自動書記を始めた。その間目蓋の裏というか脳内では、あらゆる言葉や場面が映像や言葉で浮かんでは消えていく。

顕在意識では知った記憶がないような単語が出てきてびっくりする。

ひたすら、手を動かし、見えない誰かと会話してそれを記述していくような感覚である。

その途中、ふと古いお守りを神社に返していないことに気がつく。

躁の時、私は大体スピリチュアルな存在と交信している気分になっているので、今がうまくいっていないのはお守りを返却していないのと、今までのお礼をいっていないからかもしれない、少なくとも少しは理由がそこにある気がして、急遽翌日にお守りを返しにいくことにした。

京都市内にある神社に返しにいった。

その日は雨、無事に返しに行き、帰り道を運転している(車の運転は病状が悪化している時以外医者から許可されている)と車の屋根を雨粒が強く叩いた。それも左側を二回。私は何かに呼ばれている気がして、左折をした。カラスが鳴いたところで曲がったり、そういう理由で車を運転していくととある古い喫茶店を通り過ぎた。

私は、無性にその店に入りたくなって、一旦通り過ぎたものの駐車場を探して、駐車し、傘をさして喫茶店へ向かった。

すると、ドアを開けると”遅かったやん。待ってたで。”と歳おいた女性の声が耳元でした。

私は初めてドアを開けたお店でそんなことを言われると思っていなかった。きょとんとしていると、出迎えてくれた高齢の女性店主は特に何事もなかったように、『靴はそのままでお入りくださいね。』とだけ言った。

私は、窓側の入り口から一番近い席に座った。アイスカフェオレを注文しなぜか持っていた手帳を開いて、ペンを準備した。なぜかそうしなければならない気がして、体が勝手に動いたのであった。

奥の長テーブルでは中高年風の男女が5、6人腰掛けてニコニコと楽しそうに笑っていた。

私は、カフェオレが来る間そのグループの会話に耳を傾けていた。

すると、会話の端々に出てくる単語と今自分で考えていることが結び合って、私に対する様々な面での忠告に聞こえてきた。

まず、”心の壁が薄く詮索しすぎなこと。もう少しバリアを張りなさい。”や”あなたの目標とする人とは魂の格が違う。格を上げるためには相当な努力がいる。””相手の心に入りすぎないこと。””今あなたはホラ吹きのような状態。”など、自分が意識していないところでの気づきが頭の中に流れ込んできた。

どんな人たちなのか?と意識をそのグループに集中しようとすると跳ね返されたような、結界を張られたような、それ以上意識が入り込めない感覚になった。さっきとは別の女の人の声で”入ってこないで!”と聞こえた気がした。

と、こんなふうに何と何が現実なのか分からない状態(後日状況が悪化し病院へ行った)で、頭の中で超現実の世界が繰り広げられている状態を経験した。

こんな風に言葉や文字にすると、途端に嘘臭くなってしまうが、そういう感覚でいた時期があった。こういう時、自分では覚醒していて変化しか周りにない。すべてのタイミングが、重なったようなミラクルな時間が流れているのだ。

そんな時からすると、うつ状態や、寛解期の状態は、より無気力に感じてしまうことがある。

そういう波をどう乗り越えるのか。またはやり過ごすのか。共に生きていかなければならないので、それはこれからの課題である。

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