おぉまただ。

文章の分類さえ忘れ更新していた。とほほ(昭和

ミニマリストに憧れ?を若干持っている欲張り者だから、ついついやりたいことも増えていって風呂敷部屋いっぱいに広げてしまう。

何事もハマったら、とことんまでこだわれる人って本当に尊敬する。

私は割とある程度自分が満足しちゃったら、そのこと自体を寝かせてしまう。

熱しやすく冷めやすいタチなのだ。

これは長年直したいことでもある。よく言えば『好奇心旺盛』ってやつか!

はっっ!!!ポジティブに考えたら、そのまま突っ走ってしまいそうで、冷めても悪気感じなさそう・・・

なんでも物事を始めたり続けたりする時、考えすぎてしまうとうまくいかないって感じがあると思う。何かを極めている人は『好きなこと』はもう体の一部と一緒で『当たり前』なんだろうと思う。エセな私はマジでハマっている人たちがそんな感じに見える。

私は形から入っちゃくことなんていっぱいあるし、何かに熱中している自分がなんか『かっこいい』とか思っちゃうタイプなのだ。でも、もちろん好きだと思える要素があるから飛びついているわけだけれど。

いや、考えすぎか?はぁ。この時点でうだうだしている気がする。私のユーモアの師匠である姉としては、『お前は、回りくどい。』らしい。そして、兄によれば、『お前の料理はまずくないけど、素直じゃない』と言われたことがなんだか、答えの様な気がしてきた・・・全ては煩悩なのか?

だから、ストイックに何かを突き詰められる人に対してすごくリスペクトを持っている。

思春期真っ盛りな頃漠然と『コア』な人になりたかった。アンダーグラウンドやストリート文化、サブカルチャーに心底憧れた。今もそういうことに関して見たり聞いたりやったりするとワクワクするんだけど、私はその真ん中にいる人間ではない様な気がしている。伝わりにくいかもしれないけど、当事者にはなれなくて、でもずっと『憧れている人』なんだと思う。

それは、自分の声に忠実に掴み取っている人たちの生き方にすごく惹かれているのが理由の一つにある。

私は、自分の声を割と二の次三の次にしてしまう性格だ。そして、昔は特に『いい人』って思われたかった。みんなに『好かれ』たかった。どうしたら、好かれる様になるのか考えてばかりいたのだ。

どうしても他人の了承の元でしか自分に居場所を与えてあげることができなかった。

誰かの愛情に飢えていたのかもしれないが、自分のことを認めていなかったのが一番の原因なのかもしれない。今の状態の自分を認め受け入れる『許す』という考え方に出会ったのは転機だと思っている。

ということで、自分語りしておりますが〜。

いいかげん、HPカスタマイズ始めなきゃ!

わ〜っしょ〜い!

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