富めることは如何なることか。

目に見える資産、それに対する欲というものに振り回されると厄介だ。

人の使い古しや古い物、USED品を嫌がる人もいる。(後で気がついた。こういうと語弊がある。照)アンティークやそのものが持つその時代の価値観において欲しがる人もいる。言葉によっても伝わり方が違う。価値観は実に様々だ。

大切に扱われた物には魂が宿る。それは人の付き合いにも言えることだろう。

この所の自粛で、ふと自分と外界の繋がりについて考えることが増えた。

生き金、死に金という言葉がある。何に対して対価を払うのか。

そして自らの時間や労力、心を傾けること。

今までの繋がりをふるいにかけられている様な気分だ。

今までの生き方、ものの考え方が私が子供の頃と比べて目まぐるしく変わっている。

毎日加速して行く。

こんなことを書いていて、思うことがある。

損得勘定を抜きにして”自分が直感でいいという感覚のする方へ行く”そいうことを繰り返して行くと、それが結果的に良い方向へ向かうという考え方だ。

情報に溢れて、ついつい自分の直感という本能を忘れてしまっていたな、と思った。

そして、今ある物事に感謝をすること。

これも忘れかけていた感情の一つだ。

めくるめく日々に刺激的なこと。今の生活から遠ざかっていることかもしれない。

陽気も過ごしやすくなったのにも関わらず、どこへもいけずストレスが溜まってしまっている人もいるだろう。

そういう時に一度自らを内観してみるのもいいなと改めて思う。

心に飛び込んで沖へと泳いでいく。深い心の底に潜ってみる。

富めることとは一体なんだろうか。心に問いかけてみるのもいいかもしれない。

ふとノートに思い浮かんだ言葉をつなげて遊んでみる

その言葉の連想をインターネットや書籍で調べてみる

そういう心と魂の歴史の旅

心は自由であってほしい。または私もそうありたいと思う。

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