張り合う気持ちでいても仕方のないこと。
勝負事が苦手だ。
見方によっては勝負から逃げているのかも。
こうでなければならないという強い意志があらゆる場面にあるわけじゃない。みんなはどうなんだろう?
今若い時に思い描いていた様な自分に慣れているのか、わからない。でも、自分なりに守ってきたものもある。
そしてそれには、良い面も悪い面もある。手に入れたことで失うものがあるならば、私は何を選んでいて何を望んでいるのか。
考えてもよくわからない。今の時点では。でも、こんなことを話す機会が今の生活の中ではほぼない。
必死になって欲しいもの。
それは自分にとってなんなんだろう。
自由と少しのお金と愛すべき家族と友人。
少し考えて、欲しいものは、守り抜きたい対象だと思った。
そして私でなければ果たせない役割なのかも知れない。
求めていて、求められたい。
でもそれは張り合うことではない気がする。
ありがたいことに、歳を取ると日に日に家族やごくわずかな友人に対して愛情は深まってきている様に思う。
そういう感覚が増えた。
囲まれている人や物に愛着が湧いてきたし、以前よりも想いは深まっていると感じている。
好きでやってきたこと、失敗した過去でさえ懐かしく、そして少しヒリヒリするが何故だかそういうことを思い出すたびに
私が私であることを認識できる。
同じ空間にいても結局は見えている世界は一つとして同じではない。
私でないと果たせない役割は、実は生きているというだけである意味叶えている。
しかし、こういう感覚とは別に物理的に私にしかできない役割を欲しいている。
そういうことは、張り合うことでは生まれない。
ただ自分自身と向き合って、創造するのみである。