哀しいけれど好きだ。

どうやら今夜はいつになく物思いに耽っている。これが無駄なことかもしれないとわかっていても、どうしても感傷的になってしまう。

ホルモンや抗生物質の副作用、持って生まれた物(特性)に、簡単に作用されてしまう。

どの道、私はただの動物、生身の人間なのだ。

物事に終わりがある、そういうことを感じて泣きたくなる。

だからこそ今を生きたい、なるべく誠実に。

嘘をついったって問題ないのかもしれない、それに誰かを、あるいは何かを守るためには賢い嘘も必要で、正統なのだろう。

真実を伝えると同時に、どうにもならない、できない深い哀しみもついてくる。そういうことがある。

愛おしいから、哀しくなってしまう。

笑顔の永遠に続く様な命が不老不死があったなら、それはこの世にはない。

命の蝋燭は歳を重ねるごとにロウが溶けて短くなる。その命は燃えて私たちの命を照らしてくれる。

私が、どんなにダメなやつでも。

”良くなるよ”って言ってくれる。

幸せだ。だから、今日は嬉しいと同時に、少し哀しくなってしまった。

だからと言って、今のところ不治の病を患っているわけではない。

もしかしたら、ポックリ逝ってしまうのは私の方かもしれないけれど。

今の生活が他の人から見て、完璧で誇れるものではなくても。(そもそも他の人と比べたって意味はない)

無償の愛が、あるのかなって思った。だとしたら、私はそれを確実にもらっていて、少しだけど私も渡しているのかもしれない。

この気持ちは、消して自己陶酔ではないと言いたい。

だが、少し荒ぶっている。

何もショックなことなんて今日はなかったのに。

何気なく選んだプレゼントを喜んでくれた。

買ってきたケーキを残さず食べてくれた。

ただそれだけなのに、とっても嬉しい。

そして、涙が止まらないのである。

歳をとると涙腺弱くなるってこのことか?爆

とにかく、私は好きなんだなって思った。

身近な人に対してそういう気持ちになることは、比較的多いことなんだろうと思う。

しかし、災害や事故で亡くなってしまって、もしかしたら生きられたかもしれない人たちのことも以前よりも考える様になった。

起こってしまった事実は変えられないし、テレビをつけてニュースを見て毎回誰かを思ってこんなに気持ちが高まることはないんだけれど。

教室に来る子どもたちの未来も考える様になったからか。

私は無力じゃないと、おこがましいかもしれないけれど思いたい。

そして、誰かを守るため、優しさには強さが必要なのもわかってきた。

何もしてあげられないって思うのはやめにしようと思う。

誰かの心の中に、少しでも愛された記憶が残っていたらいいなと思う。

物理的に残らなくても、それが表面に出てこなくても。

どんな形であれ、この気持ちを伝えて生きていきたい。

もしかしたら、それが使命なのかもしれないな。

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