春雨スープ。

私は高校三年生の秋、自律神経失調症(後に双極性障害Ⅰと診断)と診断された。断片的な記憶を辿ると母方の祖母との記憶が蘇る。

夏のある日思いつきで当時一人暮らしをしていた祖母の元へと自転車を走らせた。

母方の祖母は私の家から自転車で片道20〜30分のところに住んでいた。

正直、内孫ではなかったのもあり、小さな頃から祖母はすぐに私たちを叱りつける少し怖い存在だった。その日家に行くまで祖母は私の事をどんなふうに思っていたかなんて、考えたこともなかった。

電話もかけず、祖母には知らせていなかったので少し驚いた様子だったと思う。

祖母”どうやってきたんや?”

私”自転車やで”

祖母”おぉようこんな遠いとこまで来たなぁ”

祖母はそういうと家の奥の部屋に通してくれた。

丁度お昼時だったので、私は祖母に手料理を振舞うことにしていた。

当時ハマっていた春雨スープ。買い物は近くのスーパーで。

自分の手料理を人に振る舞うことはあまり経験がなかった。味見をした。少し味付けが濃くなってしまったかな?どうだろう。。。不安だった。

大したものは作れなかったので、市販の佃煮などの惣菜とともに春雨スープを机に並べて出した。

祖母は、”美味しいで、味大丈夫やで”と食べてくれた。

学校での出来事などを話したのか、テレビ番組を見ながらだったかそこはぼんやりとしているが、そうこうしている内に日が暮れ始めた。

そろそろ帰らないとと伝えると、祖母は”泊まって行きない”といった。

私はどうして引き止めてくれたのだろう?と鈍感だけれど、少し思ってしまった。実家で当時7人で暮らしていた私は、高齢者の一人暮らしを”寂しい時がある”ものと思ってはいなかったのだ。いとこと合わせて六人いる孫の中で、一対一の時間がおそらくこの時が初めてで、キョトンとしてしまった。

しかし、それと同時に、すごく特別な感覚が湧いてきた。早速母親に電話して了承を得た。

その日祖母と過ごした時間はとても静かでいて、穏やかでとても暖かく少し寂しかった。

家に帰ってその日の出来事を母に話した。母は祖母も”きっと寂しかったんやろな、嬉しかったんちゃう?”と言った。その言葉を聞いて、私はますます嬉しくなったのを覚えている。

それからしばらくして、祖母は癌で亡くなった。皮膚癌もあったから、腫瘍が外から見てもわかった。

祖母が亡くなる前の正月に、私は進路が決まっていなかった。

どこにも所属しないことがなぜだか当時すごく恐怖でいた私に、暖かい電気カーペットに寝そべりながら、”若いんやでなんとでもなる”と言って笑って励ましてくれた。その声がとても優しかった。

いよいよ入院となって、その時期には私の進路も決まり県内の短大にある児童福祉学科へ行くことになった。

お見舞いの時にそのことを報告して、意気込み新たに手遊びを披露したりと紙芝居を読んだ私。

祖母は、呼吸器をつけていたのに必死に目で絵を追ってくれたり、手を動かして、手遊びをしてくれた。きっと、苦しかったのにな。私の気持ちに必死に答えてくれていたんだな。今ではそう思う。

何ヶ月かの入院の後、祖母は他界した。

その死きっかけに私は、生きている間に大好きな人にはその気持ちをどんな形でもいいから伝えたい、と初めて思う様になった。

今でも、あのしょっぱい春雨スープの味が浮かぶ。

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