Call Me Crazy: A Five Filmを観て。

久しぶりに映画を観た。

最近観たい映画が(その時の気分にあった映画)がなかなか見つからずに、Amazonプライムビデオのページをスクロールして、ページを閉じるケースが続いていた中、メンタルヘルスについて取り上げた映画を見つけた。

この『Call Me Crazy: A Five Film』という映画を観て、精神疾患と向き合う人々、当事者または家族の葛藤を垣間見た。

私は発達障害で双極性障害である。

劇中では薬と治療を続けることの大切さがメッセージとして受け取れた。

”処方箋をやめたい”今でも時々そう思うが、10年ほど前実際に処方された薬を飲まずにいたことがある。

薬を処方される前の”本来の”自分に戻りたい。そう思っていたし、薬の効果がいまいちわからなかった。

双極性障害や発達障害は脳の障害であるとされている。

双極性障害は生まれ持った脳の障害で発達障害の二次障害と言われることも多いが、実は厳密にいうと異なるということをかかりつけの先生から聞いた。

ただし、ある一定の時期に心的ストレスなどを抱えることにより発症するということで、うつ状態での受診などではなかなか発見されにくい病気である。

何年かのサイクルで、躁とうつを繰り返すことによってようやく双極性障害と診断されるケースが多いらしい。

私もその中の一人だ。

10年ほど前、その当時私は大阪で一人暮らしをしていた。何をしようと何処へ行こうと行動は自由だ。

薬をやめてしばらくはやる気に満ち溢れ、自転車でどこへでもいった。

一人で夜の繁華街に繰り出し、BARでお酒を飲んだりしていた。

そのうち眠れなくなっていって、気分が落ち込む日も増えた。大好きで聴いていたお気に入りの音楽も現実の世界と区別がつかなくなり、私が何かの物語の主人公のような気分になっていった。

幻聴、幻覚、被害妄想、飛躍する思考。もう自分では、止められなくなっていった。

ある日の早朝、おめかしをして外に出かけた。知らない街を携帯のカメラで画像を撮りながら歩いた。

しばらく歩いた所で、空虚感や孤独感の感じ居た堪れなくなって、自分の帰る場所が分からなくなった。

泣きたくなるのを堪えながら朝の5時に滋賀県の実家にいる兄の携帯に電話した。

なんとかアパートに来ると数時間後、両親が迎えに来てくれた。両親はとても心配していた。

躁になるととてつもない自信に満ち溢れる。

頭でいろんな声がする。すべての出来事が私にタイミングを合わせてくれているような気分になる。

劇中、私と同じ双極性障害の女性が(もちろん俳優さんだが)車を飛ばしたり、木に登ったりしている描写があった。

とても共感した。

最近、薬に頼らずとも問題なく生きている方を知った。著書も出版されているので、もう少し彼のことを知りたいと思う。

でも、今実際は私は処方箋がないとどうなるか想像もできない。

これからの人生、環境を変えて生活スタイル、習慣を変えていくことによって薬を飲まずにやっていけるのかもしれない、とそんなことを疑いつつそうなればいいなと漠然と期待している。

しかし、処方箋を飲む飲まないにかかわらず、自分がこの障害と向き合うべきで、共存するしかないことは今までの経験を経てよくわかった。

精神疾患にはまだまだ偏見がある。見た目からわからないから、なかなか理解されにくい。

私が調子の良い時に出会う人は、躁やうつの時の私を知らないから、実際病気のことを説明していてもしっくりこない。私だってしっくりこない。

同じくメンタルヘルスを取り上げた(こちらは子供の発達障害なども描かれている)『tully』という映画も実に興味深かった。

私は、未婚だが、将来家庭を持ち妊娠して出産、子育てを経験したい。

世の中の人に自分の価値観を押し付ける気は全くないが、私はそうしたいと思うようになった。

不安もある。

しかし、精神疾患を持ちながら自分と障害と向き合い世の中で生活している人はたくさんいる。

『Call Me Crazy: A Five Film』を観てパワーをもらうことができた。映画に救われる程まではいかないが、少なくとも自分を救うのはまず第一に自分がいなければいけない。

そんなことを感じた夜だった。

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