ふと思った。
車のスピーカーから流れ出したピアノの音と少し低くて掠れた包容力のある声。
彼女のその歌は以前に何度か聴いたくらいで、傾聴していたわけではなかった。
言葉、その歌の、単語と単語の繋がりのフレーズ、詩に浮かぶ映像。運転を損ねない程度の無意識下で浮かぶ情景たちにふと思った。
私が普段感じている感情は多分これから、ちゃんと向き合って残さないと。
なぜだか突然、そう感じた。
今私にできることは、世間からできるだけ距離をいた環境で生き続けられる知識と生活力、経済力をつけること。
ある程度の遮断が必要なのかもしれないと思った。
でないと、私は自分の中の野生を忘れてしまうな。人間であることの喜びは一体なんなのだろう。
自分にに見合った情報や方法や生きる術を便利な世界から選び取れる。そういうことができるようになったからこそ、なんとなく波に乗っていたらいけないように私は感じた。
特に私は、影響されやすいからこそ、ある程度自分を保ち続けるために、距離をとることがとても大切なんだと思った。
抽象的だけれど、窓の外が漆黒の夏だとか、蝉の羽音や遠くから来る雨雲の気配に囲まれて、帰路を急ぐ、そんな色とりどりの生々しい世界が必要で、それを感じ続けられる日常。(回りくどい表現でスマセン。)
指先の皺に時間の経過を感じたり、たまに思い出す恩師の顔だとか。
そういうことを、するための今なんだと思った。
隣に誰もいなくても、そういうことが私を生かす理由でたとえこれから一人きりでも、そうだ、そうしよう。
久々な感覚だった。